済州島での食事【韓国・済州島ログ建築顛末記3】

問題の食事ですが、辛い物は多いものの焼き肉などは 安価で量も多く、
スタッフ達は堪能していました。

 

 

でも 私(N)は 初日で韓国料理に完敗し、翌朝からピーピー・ゲーゲーとなって
朝食の中国人旅行者向けのお粥を少し以外何も食べられなくなり、
約1週間 ふらふらしながら過ごしました。

 

「正露丸」と「新ビオフェルミンS錠」をメインデッシュにお菓子少し、
ほぼ1週間の私の夕食です。

2週間めからコツがわかり、危険の少なそうな料理を選んで何とか体調も回復。

救われたのはホテルが綺麗だったことと、シャワートイレがついていたこと。

 

 

 

 

 

 

 

ホテルの従業員で日本語が話せる人がいることで、滞在に関しては快適に過ごせました。

 

(日本のシャワートイレに比べて、非常に多くのボタンがあります)

 

現場の向かいが写真のピザ屋で、いろいろ世話になっているのでなるべく利用するようにしています。

 

 

たまには違うものを食べたくなりますが、
11時50分位になるとおとっちゃんが寂しそうに現場近くに立っているので
行かないわけにはいきません。

それに私たち以外に客が入っているのを見たことが無いくらい寂しいお店です。
心配になります。

 

 

滞在中の日曜日は1日だけ休みにして、各々で済州島観光をしました。

私は他のスタッフと2人乗り自転車を借りて、
何とか山と何とか岬とフェリーの港などサイクリングしてきました。

 

 

「冬のソナタ」などでは有名な山らしいです。

 

 

最終日はオーナーさんに 感謝の宴を催していただき
豪華なバイキング料理を振る舞っていただき、寿司やアワビなどたらふく食し、
前半の「やむをえずダイエット」は即座に完全にリバウンドしました。

その席で、「行方不明のフィンランド鉄板部材を再度フィンランドから航空便で取り寄せ、
入手したらもう一度キートスさんに済州島に来ていただけませんか?」と依頼され、
中途半端で終われないので、「また来ます」とお約束して、
第2次済州島ログハウス建築にトゥービーコンティニューとなりました。

 

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[ ログハウス徒然草 17.05.11 ]     Kiitos Log House