「日本人はずっと 自然とともに暮してきたのだから、 また復興できるよ。」
ニッポン大好きなフィンランド・ログハウス工場 M氏が 東日本大震災直後に言ってたように、
日本人は 今までもずっと 自然災害からの復興を繰り返しながら 生きてきました。
先日訪れた福島県南相馬市のログハウスも 津波被害と原発による帰宅困難地域のため
高台移転しての復興住宅です。
このログハウスセルフビルド現場のすぐ横では 在来工法の大きな平屋住宅も建築中。
セルフビルド中のログハウスは 3人住まいには 十分な広さがある 大きい平屋ですが、
「隣の大きな家からみれば、 うちなんか おもちゃの家 みたいだなぁ。」 と お父さん。
( 写真 : 左側がログハウス現場、 右側は建築中の在来工法の家)
そのお隣の家を外から眺めていたら、 現場で仕事していた大工さんが 「中に入って いいよ、おれんちだから」 と。
この日は 他にも助っ人大工さん2~3人が 壁のサイディング作業や内部造作をしていましたが、
普段は 大工である施主さんが 一人コツコツと 自分の家を建てているそうです。
完成後この家に住むのは、 大工さん、奥さん、お母さん の3人だけ。
「3人暮らしにしては、 大きな家ですね。」
「いいや、大きくなんかねぇ。 前は この2倍以上あったんだもの。 みんな 流されてしもうたけどなぁ」
大きかった家も、 畑も、 田んぼも、 みんな津波で流され、 そのうえ 原発被害で もう戻ることができない。
「米やトウモロコシなど いろんなもの作ってたんだけど、今は だったこれだけしか土地ないから、 畑もできない・・・」
と 大工さんの奥さん。
ログハウスをセルフビルド中のお父さんも
「みんなには いい所だね・・・と言われるけれどさ、確かに ちょこっと遊びに来るには いいとこだよ。
でもね、 ここには 畑とかないもんなぁ」 と寂しそうに話しておられました。
見た目には 一区画が大きく、 街中の住宅地で暮す我々から見れば とても羨ましくなる 広い土地だし、
近くに大きな池もある 自然豊かで魅力的な 新しい造成地。
でも 海近くの大きな家で 長年生活し、 広い田畑で 毎日農作業しながら暮してきた 被災者にとって
新しい家を建てることは 目に見える復興の第一歩ではあっても、
目に見えない心の復興には まだまだ踏み出せないんだろうな・・・と感じた 南相馬での一日でした。
[ ログハウスで自然暮らし 14.10.16 ] Kiitos Log House