8帖一間のログハウスのはずが・・・

もう10年以上前の話ですが、
ある日、新潟県内にお住まいの男性がキートスのオフィスにいらっしゃいました。
「 自宅の建替えを計画しているが、一部自分用の部屋だけは8帖程度のログハウスを建てたい」 と。

その他の住宅部分は在来工法の日本建築庄屋造り(そんな言葉は無いかも知れないけど)
とにかく12畳の2間続きの集会場のような和室、雪見障子と鶴亀の欄間、
四畳半の仏間、床の間、大きな縁側などの平屋100坪のご自宅に
ご主人用の書斎としてのログハウスをどのように建築してスムーズにつなげて仕上げるか が質問の内容でした

ああでもないこうでもないと打ち合わせをしている時に、
軽い気持ちで「 いっそ全部 ログハウスにしたら!」と言った途端、
「いくら位かかるの?」と意外な展開に・・・

計画している全ての図面を預り、頭をかかえました。

床の間や仏間、飾り天井、障子や襖とログハウスとのおさまりやセトリング対策をどうすれば・・・

そして、それよりもご主人さんが描いている昔ながらの田舎作りの和風平屋住宅を
どのようにしたら丸ログのログハウスで再現できるのだろうか?
家の奥から萬屋金之助や里見光太郎が出てきてもおかしくないイメージに仕上がるのだろうか?

とにかく膨大な量のログ材が必要になるだろうし、
フィンランドとの打ち合わせおいて仏間や床の間や里見光太郎をFaxで説明することは難しいと思い、すぐフィンランドに打ち合わせに出かけました。

写真や雑誌を見せて説明し、
日本建築の図面をログハウス工法の建築図面に落とし直しの作業などを経て
キット価格の算定と建築イメージを構築して帰国しました。

そして、ご主人に恐る恐る建築費見積書を差し出したところ、
「 こんなでできんの?」とあっさり全てをログハウスで建築することが決まってしまいました。

でもその後も、そんなにトントン拍子だったわけではなく、いろいろな紆余曲折がありました。

ともあれ、40フィート×4本と20フィート×1本の合計5本のコンテナが3ヵ月後に到着しました。

仏間や床の間、その他のおさめ方が確定していなかったので、
フィンランド工場から一人の技術者を派遣してもらい、
日本の大工さんの棟梁達と共同作業が始まりました。

新潟の夏、特にその年は35°Cとか37°Cとかの暑い夏で私達は汗だくでしたが、
フィンランド人は いくら暑くても汗が出ないようで 余計辛そうでした。

意外にも日本の棟梁さんとフィンランド技術者とのコラボは素晴らしく、
不思議な言語で当人同士しか理解不能な言語を駆使しながら
次々と いろいろな難問を解決してログハウス建築は進んでいきました。

みんなで「やかん」の氷入り麦茶を回し飲みをしながら作業を続け、
1ヶ月くらいでログ組みを完了させました。

(余談ですが、建築中にすぐ脇を走る道路で2度追突事故が起きました。
ログ建築現場をわき見しての事故です。)

完成半ばでしたが基本作業が終了し、
そのフィンランド人が帰国する時は「新潟版ウルルン滞在記」さながらで
フィンランド人技術者は、

「私のLife(人生)でこんなに楽しく and 充実して
and 刺激的で and 感動的な数週間は never(二度とない)でしょう。
You達にmeet(出会えて) 本当にhappy(幸せ)でした。
この数週間で私は本当に多くのことを can study(学習できた)し、
本当のJapn(日本) and 本当のやさしくて実直なJapanese(日本人)を
understand very much (大変理解)できました。Thank you!!」

と 棟梁と両手で握手し、 涙を流しながら話し、
棟梁も

「ほんだわね。(ほんとうです)
おらもほんね、おもっしぇかったえね。(わたしも本当に楽しかったよ)
ろんぐはうすをはじめてこしょたけど、これもひんでいいもんだてがんがようわかったて
( ログハウスを初めて建てたけど、これも大変良いものだということが良く分かったよ)おらも おめさんに会って、 いっぺん フィンランド いぎとなったてば
(私もあなたに会って フィンランドに 一度行ってみたいと思っています)
来年には できてっすけ、 おめさん 来年また 見にきなせや
(来年には完成しているので 来年もぜひ見に来てください)」

フィンランド人技術者 「私は promise(約束します)。 必ず来年 また来ます。」

(全体がルー大芝みたいですが)

180cm以上あるフィンランド人技術者と160cmそこそこの初老の棟梁が、
建築途中のログハウスの前でだらだらと涙を流し、
両手を握り締めながら 別れを惜しんで立っている姿は
ご主人とその家族、 大工のスタッフ達、 私達の皆が もらい泣きしました。

そんなこんなで、 旅行カバンに 買い占めた「インスタント麦茶のもと」をパンパンに詰め込み

50足くらいの5本指靴下(ゆび軍足ー始めて見たそうで 非常に気に入ってました)と、

本当に苦労して探し回ってやっと 買った29cmの 「地下足袋」を下げて フィンランドに帰っていきました。

その後は、非常に多くのことを学習した大工の棟梁が 庄屋造りの大きくて立派なログハウスを 見事に完成させました。

またいつか この時のエピソードを書くことにして、今回はここまで!!

丸ログの住宅

追伸1、
翌年 あのフィンランド人技術者は 約束どおり完成したログハウスを訪問し、新潟のはずれで仕事をしていた棟梁の建築現場にも訪れ、再会を果たしました。めでたしめでたし・・

追伸2、
巨大なログハウスの塗装工事は 「面白そうなので、塗装は自分でするよ」と オーナーご夫婦で行いました。 思ったよりやっかいだったようで、今でも 「ひどい目にあったよ」と言われますが、このログハウスを大変 気に入ってくれています。

追伸3、
立派で 芸術的な 和風ログハウスが完成しましたが、やはり里見光太郎は無理がありそうです。 高倉健なら なんとかマッチしそうですが。


[  ログハウス徒然草 10.04.13 ]