1.ログハウスを建てようか?


始まりは・・・


それから時が流れ、結婚し、子供が生まれました。

私たちが暮らしていた東京の街は、近くに大きな都立公園があり、その脇には太宰治で有名な玉川上水もあります。

FC東京のホームスタジアムにも、自転車で三十分で行けます。
とても住みやすい良い街です。

子供が生まれた後、月に一度、妻の実家(山梨)に家族揃って遊びに行くという生活が始まりました。

自然に触れ、何より、義母の作る野菜を美味しく食べる子供たちを見ていると、それは大きな喜びを感じることができる時間でした。

『実家の近くにログハウスをつくろうか』
ある日、 妻の実家からの帰り道、甦った気持ちを口に出すと、
妻の返事は『いいよー』と。

これが私たちの始まりでした。


土地探し


まず最初に行った事は、ネットで知った(株)キートスに切手をいっぱい入れてカタログを請求することでした。

そして、土地探しです。

しかしなかなか見つからず、仕方なく、妻の実家の近くにこだわらず、範囲を広げて探しました。

いくつかの空き家バンクに登録し、田舎暮らし物件ツアーにも参加しましたが、気に入った物件は見つかりません。

そんな中、偶然ネットで長野の物件を見つけました。

それほど期待せず見に行きましたが、帰りの高速道路に乗る前に不動産屋さんに購入の意思を伝えました。

私たちの条件にピッタリの物件がようやく見つかりました。

ログハウスが建てられ、山を見る事ができ、畑があり、自然に囲まれているけど、ポツンと一軒家ではなく、気持の良い所です。

鹿島槍ヶ岳が正面に見え、彼方には、穂高岳、槍ヶ岳も見えます。
畑の向こうには、戸隠西岳が。


ログハウスキット


私にとってログハウスは自分自身で建てるものだと思っていました。

妻も子供たちも、私自身も多分、問題無く建てることが出来るだろうと思っていました。

今思えば、家族全員思い上がっていました。

土地を入手して二ヶ月後の2018年11月、私たちは新潟の(株)キートスをたずねました。

キートスさんに決めたのは、皆さんが悪戦苦闘しながらログハウスをセルフビルドしている建築記を読んでです。

それとNさんの会社(キートス)を始める前のフィンランドの記事を読んで、この会社以外考えられないと思いました。




検討していたのは、平屋ログハウスキット「FW-136」

四年後ログハウスの契約をすることを約束しました。

四年後にした理由は、
・65歳になり年金がもらえる事
・東京から週末だけ通って建てる自信が無かった事
・計画表を作るのが好きな事
・一番下の子供が社会人になるのを待った事


その後の四年間


土地を購入した年は片付け。

二年目は、練習のつもりで六畳の工具置き場と薪置き場を建てました。




基礎から自分で作業




工具置き場





三年目は、仮住まいの小屋と炊事場、ドラム缶風呂とトイレを建築。




奥が六畳間の仮住まい小屋、手前が炊事場兼ドラム缶風呂とトイレの建物です。

月に二回通っていた時はもちろん、移住してからも、この仮住まいの小屋で寝袋で寝ていました。

子供たちが来て、多い時は五人で『山のテントより快適だぁー』と言いながら、ちょっと懐かしくて、ちょっと楽しい、そんな夜もありました。

ドラム缶風呂はドラム缶の水の中に、電気でお湯を沸かす『湯沸かし太郎』というものを入れ沸かすのですが 適温になるまで、夏は四時間、冬は八時間かかります。

おまけに、電動工具を複数、同時に使うとブレーカーが落ちてしまいます。





四年目は家の解体届と建築届けを役所に出し、古い家の解体を行いました。

古家は、満州から引き上げて来た人達が山の土地を開拓して建てた家です。




なかなか魅力的な家なのですが、基礎のコンクリートが無く、大きな石に材木を渡しているだけで建てている為か、 雪の圧力の為か、家が傾いていたので、解体しました。

大きさが80平米以下で、アスベストが含まれていなかったので、自分自身で解体作業をしました。






解体した材木は全て大切に保管してあります。

そして同年、(株)キートスとログハウスの契約もしました。

トップに戻る [2.ログキットが届いた]へ進む

キートス・ログハウス 〒950-2022 新潟市西区小針2-17-1 TEL 025-233-5005


[ キートスのセルフビルダー達へ ]